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2011年 03月 16日
2011年 03月 16日
タスク
1 「気に食わないわね」 突如耳に飛び込んできたその声に、露城鍵太郎は書類チェックの手を止めて、顔を上げた。視線を向けると、彼の(学園内の制度上の)上司たる少女が、整った眉をわずかにひそめながら、不機嫌そうな表情で一枚の紙をにらみつけている。 「会長、なにか?」 「気に食わない、と言ったの」 叩きつけるように、手にしていた紙を鍵太郎に投げてよこす。その用紙に視線を落として、なるほど、と鍵太郎は一人ごちた。 「『7月祭出展参加仮申請書』、第二読書部、ですか」 「あの男、しれっとこんなものよこしてきて。困った顔のひとつでも見せれば、少しは溜飲も下がるというのに」 心底不満そうな表情で言う少女に、鍵太郎は思わず苦笑した。 彼女の名前は、八重坂六菓という。泉城学園生徒会執行部の主にして、地域一円の名家の一、八重坂家の令嬢。ゆるやかにウェーブのかかった長髪と、日本人離れした端正な容姿は、10人男がいれば9人が美女、美少女と答えるだろう。(残りの1人は、まあ、世の中には変わり者もいるので) 「企画内容は……喫茶の類、とありますね。飲食関係ということですか」 7月祭は秋に行われる清泉祭(学園祭)と違い、出展はクラスや部活といった括りではなく、「有志のグループ」によって行われる。(といっても、普段の生徒間の横の繋がりから、各部活はそのまま部活単位で出展申請される場合が多いのだが)そのためにふざけ半分で申請されたような雑多なものが集まりやすく、仮申請という形で一度「ふるい」にかけられる、そういうシステムになっている。 「その類(たぐい)という一文字に、あの男らしい狡猾さを感じるわ」 「たしかに、どうとでも取れる書き方ではありますね」 「露城」 澄んだよく通る声で名を呼ばれ、鍵太郎は内心でため息をついた。眉目秀麗、文武両道、家柄まで揃ったこの少女に欠点めいたものがあるとすれば、それは特定の人物に対する異常なまでの執着と、その鮮烈なまでの不遜さにあるだろう。(ある意味、それは長所でもあるかもしれないが) 鍵太郎は、泉城学園の高等部に進学するまで、委員会や部活といったものに属したことはなかった。体格もよく、運動神経にもすぐれた鍵太郎は、体育会系の部活を中心に常に引く手あまただったが、どうにも組織・集団に縛られるということが苦手だったのだ。といってもさほど深刻なものではなく、部活特有の上下関係や面倒な人間関係に悩まされるより、幼なじみの市ノ瀬つぐみや、恋人の桂美早とつるんでいるほうが気楽だ、という程度の理由なのだが。 そんな鍵太郎の信念とも言えない信念を、高校であっさりと覆したのが、目の前の少女、八重坂六菓だった。新入生獲得戦が白熱する4月のとある日、ふと自分を目に止めた彼女(入学式での壇上の挨拶で、鍵太郎は彼女のことは当然見知っていたが、彼女にとって自分は初対面のはずだ)は、開口一番こう言ったのだ。 『園生会の人手が不足しているの。庶務の席が空いているから、貴方、今日から私の下で働きなさい』 自分が断る可能性など露ほども考えていない、そんな自信に満ちた表情で。 そして、その日からなしくずしに(本当になしくずしに!)生徒会執行部の一員として、鍵太郎は今日も雑務をこなしている。(なぜあのとき、勢いに流されてうなずいてしまったのか、今でも鍵太郎は自問自答しているが) 「貴方は、あの男の腹心の──なんといったかしら、そう、市ノ瀬。彼と懇意なのでしょう? その伝手で、あの男が何を企んでいるのか、その尻尾くらいは掴んではいないの?」 「いえ、具体的なことは何も。まあ手伝えることがあれば手伝おうくらいには思っていましたが」 鍵太郎の言葉に、六菓は目を丸くすると、声色に不機嫌さをさらに滲ませて、 「露城」 もう一度名を呼んだ。 「はい」 「あの男と、その一党に手を貸すことは、生徒会長の厳命を持って禁じます。良いですね?」 「いえ、それは……」 「──良いですね?」 「……はい」 ため息混じりに、鍵太郎はうなずいた。こうなると会長は長い。これさえなければ、八重坂六菓は泉城学園史に残る名会長と即答できる、実力もカリスマも備えた少女なのだが。 まあ、裏からこっそりと手を回してやるくらいはいいだろう。どっちにしろ、執行部(こっち)はこっちで、忙しくなるわけだしな。 2 「……とまあ、そんなことがあったわけよ」 帰り道、ぼやき混じりにそう言う鍵太郎の話に、僕は深く息をついた。時森先輩と八重坂会長の「不仲」は有名だが、どちらかというと会長が時森先輩を一方的に敵視していて、むしろ時森先輩はそんな会長のリアクションを楽しんでいるふしがある。それがまた、会長の怒りに火を注いでいるような気がするんだけど。 「しかしなんでまた、うちの会長はそっちの部長のことを、あんなに敵視しているのかね」 まるで中間管理職のような疲れた笑みを浮かべながら、鍵太郎はなおもぼやいた。スポーツマン然としてる外見からはちょっと想像がつかないが、鍵太郎は生徒会執行部の一員なのだ。といっても選挙で選ばれる副会長、書記、会計といった役職ではなく、執行部設立後、会長から指名される補充人員である、「庶務」という肩書きなのだけど。いつだったか、具体的にどんな役どころなのか鍵太郎に一度聞いてみたところ、 『なに、文字通りただの雑用係さ』 とのことらしい。 「さあ……。先輩の話だと、二人はずいぶんと長い付き合いみたいだけど。それこそ『おしめの頃からの顔見知り』って言ってたし」 へぇ、じゃあ俺たちみたいなもんか、と鍵太郎は返した。ちなみに、もう一人の幼馴染であるところの美早は、なんでもお姉さんとの約束があるとかで、ダッシュで帰ってしまった。天澤さんも今日は学校を休んでいるから(季節外れの風邪らしい。大事でないといいんだけど)、鍵太郎と二人で下校するというのも、ずいぶんと久しぶりだ。 「そりゃそうと」 ふと思い出したように、鍵太郎が立ち止まる。 「昨日は悪かったな。ドジ踏んじまってよ」 《ネームド》にやられたことを、まだ気にしているのだろう、鍵太郎の声には、ほんの少し口惜しさが滲んでいる。 「気にすることないよ。僕だってほとんど棒立ちだったんだ。じっさい、シズとクイ、それにカナリの3人で仕留めたようなものだよね」 苦笑まじりに僕は答える。シズは「ツグミさんが弱点に気づいて、作戦を立ててくれたからこそ」なんて僕を立ててくれてたけど、僕の無茶な要求を実行したのは、全てあの二人とカナリだ。そう思うと、ちょっと自分が情けなくなる。後衛だからって甘えてはいられないな。もう少し精進しないと。 「たしかに、ずいぶんと出来る奴らだったよな」 「だね」 「……で、お前はどう思ってるんだ?」 ※ 「お願いがあるんです」 《一本腕》を倒し、安全エリアへと戻ったあと、少しクイと二人で話し込んでいたシズは、僕らの方に戻ってきて、開口一番にそう言った。 「お願い?」 「はい。私たちを、ツグミさんのクランに入れてもらえませんか?」 突然の申し出に、僕とツユギは目を丸くして、お互いを見やった。カナリは、相変わらず少し眠そうな目で、そんな僕らを見やっている。 「ええと、理由を訊いてもいい?」 はい、と礼儀正しく、シズは答えた。 「私たちは《ゲーム》の開始からずっと、二人だけでやってきました。それはそれで、楽しかったんです。あまり危険なところには立ち寄らないで、適正レベルよりも少し下の狩場を選んでいれば、二人でも十分やっていけたので」 でも、と少しはにかむような仕草を見せて、シズはじっと僕たちの方を見やった。 「今日、思ったんです。ツグミさんたちと一緒なら、もっと大きなことが出来るんだなって。私たちが今まで見過ごしてきた、もっともっと、ワクワクするような、大きなことが。そう考えると、すごくもったいないなって思ったんです。せっかく、こんな《世界》に、足を踏み入れることができたんですから」 思い切り楽しまなければ、損ですよね、とシズは笑った。 「一応、クランマスターは僕ということになってるんだけど」 その笑顔に引き込まれるような感覚をおぼえながら、僕はぽりぽりと頬を掻いた。ツユギを見、カナリを見、んん、と咳をする。 「僕の一存では決められない。皆の意見を聞かないと」 「わたしは構わない」 即答したのはカナリだった。普段の彼女らしからぬ決断の早さに驚いていると、これまた驚いたことに、口数の少ない彼女がさらに言葉を継いだ。 「わたしも、今日は楽しかった。これまでも楽しかったけど、今日はもっと楽しかった。だから、わたしは賛成」 「俺も異論はないね。元々前衛はもう少し厚くした方がいいと思ってたところだ」 続いて、ツユギも賛意をしめす。 ふと、クイと目が合った。少し不機嫌そうな表情を浮かべて、クイは目を逸らす。 「シズが言い出したことだ。僕はそれほど乗り気じゃない」 「もう、クイ」 困ったように、シズが駆け寄る。プライドの高そうな彼のことだ、心中複雑な思いがあるのだろう。 「──だけど、今日は充実していた。たぶん、今まで《ゲーム》をプレイしてきた中で、おそらく一番。それは認める」 それはすなわち、これからも充実した時間を過ごしたい。だから仲間になってやってもいい、と、そういう言葉が裏に隠れているのだろうか。クイはまた僕と視線が合っていることに気づくと、ふいっと顔をそむけた。なんだろう、嫌われているのかな。 「分かった。でも答えは保留させてくれるかな。そんな長い時間じゃないよ。1日か、それとも2日くらいだと思う。ここにいないクランメンバーがもう一人いて──ノイズというんだけど──彼女の意見も聞かなければいけないから」 その返答は予期していたのだろう、「お待ちしています」とシズは深々と頭を下げた。 ※ 「僕自身は、賛成だよ」 期待と不安の入り混じった、あの時のシズの表情を思い出しながらそう返すと、鍵太郎は納得したようにうなずいた。元々、クランは最大6人で構成できるシステムだ。もちろん、経験値は人数での頭割りなので、メンバーが増えるほど効率が悪くなるが、要はそれ以上に殲滅速度が上がれば、また層が厚くなることによってデスペナの危険度が下がれば、じゅうぶん元は取れると言える。 元々、僕ら4人で構成される1-1-2、あるいは2-2というフォーメーションは、少し無理があった。いや、今までは悪くないバランスだったかもしれない。でも、モンスターの攻勢がいっそう激しくなることが予想される中層階以降は、少し運用しづらくなっていくだろう。前者のフォーメーションは前衛の薄さが、後者は中衛の不在がネックとなって。特に、前衛によるモンスターの討ちもらしが、致命的な結果に直結する状況においては。 そして、その問題は、クイとシズが前衛、あるいは中衛を補強してくれることによって改善される。少しDEFが低いのがネックだが、クイは前衛・中衛とマルチな活躍が期待できるし、シズはなかなかトリッキーな存在だが(あのキャラ育成でどこまで潜っていけるのか、それはそれで気になるところだ)、遊撃的なポジションに据えてもいいし、ろくなスカウトスキル保持者のいない我がクランでは、貴重な存在になるはずだ。 「とまあ、ここまでが損得の話」 そう前置きして、僕は続ける。 「実は、僕もシズやカナリと同じなんだ。正直、ダメだと思ってた。あんな化け物、今の僕たちじゃなんとかなるはずもないって。でも、やれたんだ。ほとんど、シズとクイの力だったかもしれないけど、ダメだと思ってたことが、やれたんだ。そして、あの子たちと一緒なら、もっとすごいことができるかもしれない」 「となると」 僕の返答に鍵太郎は満足したような笑みを浮かべて、呟いた。 「後はノイズしだいってことか」 #
by kawa-75
| 2011-03-16 12:37
| タスク
2011年 02月 15日
8
ものすごく原始的に考えれば、「巨大であること」は「強いこと」と同義だ。威容(異様)という表現がしっくり来る《一本腕》の体躯を遠目に見ながら、僕はそんなことを思った。 今までのエリアで戦ってきた敵──リザードマンにしろ、ハーピーにしろ、オークにしろ──は、巨大なものでも、せいぜいが2メートルを越えるくらいだったろう。しかし、《一本腕》は違う。直立した状態でゆうに4メートル近くはあるだろうし、胴回りもまるでずんぐりとした重機を思わせるように太く、がっしりとしている。 事実、その体皮はまるで岩のように硬い。クイやツユギの一撃も、カナリが何発も《炎の矢》を射ち込んでも、防ごうとする仕草さえ見せない。まるでダメージを与えていないということはさすがにないだろうが、表面上は毛ほどにも感じていないようだ。さすが《ネームド》と呼ばれるだけあって、DEFもMDEF(魔法抵抗)も、尋常なレベルではないのだろう。 「野郎、蚊にでも刺されたような顔してやがる」 ツユギの声にも、苦渋めいた響きが混じる。まだ決定的な一撃を食らっていないとはいえ、前衛として《一本腕》のプレッシャーを間近で受けているのだ。僕の《大地の守り》でDEFを底上げしてはいるが、ゾーンボスと謳われる《ネームド》の一撃の前に、どれだけの効果があるかは怪しい。 「大きいの、もう少し距離を取れ。シズを狙って隙を見せたタイミングを狙うんだ」 クイの指示が飛ぶ。そう、救いがあるとすれば、《一本腕》は見た目通りの鈍重なモンスターであることだろう。じっさい、最前衛のシズはその長大な右腕の一撃一撃を、まるで蝶のようにひらひらとかわしている。そして、奴の弱点をもうひとつ付け加えるなら、左腕がないがゆえに、攻撃の起点があの長大な右腕からしかないことだ。だから攻撃の出どころが読みやすく、また次のアクションに移るときは、その長大さがネックとなって、あからさまに隙が出来る。あの異常なリーチこそが、逆に短所でもあるのだ。クイは、そこにこそ付け入る隙があると考えているのだろう。 「言われなくても──」 再度「大きいの」呼ばわりされたツユギが、シズを狙って右腕を振り下ろした《一本腕》の左側に回りこみ、その脇腹に渾身の力を込めて長槍を突き入れた。ごぶり、と分厚い肉をつらぬく不快な音がする。 「ち、硬ぇ──」 「鍵太郎!」 あまりの体皮の重厚さにツユギが顔をしかめたそのせつな、《一本腕》が咆哮とともに右腕を横に薙ぎ払った。分厚い肉に阻まれて、槍を抜けずにいたツユギの回避が一瞬遅れ、その一撃をまともに食らう。まるでピンポン玉が飛んでいくように、いっそコミカルといえるほどの勢いで、ツユギの長身が跳ね飛ばされる。 「ツユギ……」 めったに口を開かないカナリが、僕の後ろで戸惑ったような声をあげた。僕はあわてて《癒しの砂》の魔法式を組み上げようとして──唇を噛んで右手を下ろした。ツユギのHPのゲージが0になっている。つまり、死んだのだ。ただの一撃で。 「──なっ──」 突然の事態にクイはその端正な顔をしかめ、バックステップで《一本腕》から距離を取った。僕らの中で最も、HP、DEFともに高いツユギを、一撃で殺してしまうほどの攻撃力は、さすがに想定外だったのだろう。あの鈍重さ、命中率の低さでバランスを取っているのかもしれないが、それにしてもピーキーにすぎる。 (すまねぇ、ドジっちまった。すぐ戻る──) ツユギの口惜しそうな「ささやき」が耳を打つ。だが戻るといっても、死に戻り先の安全エリアからこの「首切り場」まで、最短ルートで走っても4、5分はかかるだろう。前衛を一人欠いたこの状況で、はたしてその5分を耐えることが出来るだろうか。幸い、あの機動力の低さであれば、距離を取りつつ時間を稼ぐことも出来るだろうが── 「……クイ」 同じように距離を取ったシズが、クイの横顔を心配そうに見やる。判断を仰いでいるのだろう。レアアイテムをドロップする可能性を捨てるのは惜しいが、なにも《一本腕》はイベント進行上、どうしても倒さねばならない敵というわけではない。じゅうぶんに距離を取ったあとログアウトし、ほとぼりが冷めた頃に戻ってきて、通常のオークを狩りつつ「包丁」のドロップを待てばいいだけの話だ。むしろ、LIFEの減少を考えれば、この状況ではそれが最も良策であるといえるだろう。 シズの無言の問いかけにクイは一瞬目を細めると、ちらり、となぜか僕の方に視線を向けた。そして決意を込めた表情で、《一本腕》に向き直る。 「いや、奴は絶対にここで狩る」 そう言って、一歩を踏み出した。そんなクイにシズは優しげな笑みを浮かべると、再び囮になるべく、前傾姿勢のまま一直線に《一本腕》に向かって突っ込んでゆく。 「お前たちはもう退避してくれ。ログアウトの時間は稼いで見せる。すまなかった。これは元々僕らの問題──」 「──冗談!」 ふと、その全身を淡い光が包み、クイは驚いた表情で僕を見やった。《癒しの砂》を捨て、魔法式を組みなおした僕の《湧き出る力》が発動したのだ。どうせ一撃を食らったら死ぬのだ、もはやDEFの向上に意味はない。ならインファイトよろしく、シンプルにATKを上げるのが、冴えたやり方のはずだ。 「お前……」 「お前じゃなくて、ツグミだよ。こっちはカナリ。LIFEが減ることを考えたらたしかに惜しいけど、そうなるとまだ決まったわけじゃない。むしろ、こんな燃えるシチュエーションで尻尾巻いて逃げたら、後でノイズにどやされるに決まってる。そのほうが嫌だよ」 同意、とばかりにカナリも口元をきゅっと引き結ぶと、素早く魔法式を組み始める。せめてツユギが戻ってくる時間くらいは粘らないと。後衛の僕が言うのもなんだけど、見せ場は残してやらないとね。 「……すまない」 そんな僕ら二人を横目に、クイは一瞬なにか言いたげな表情を見せたが、それを飲み込んだように、ぽつりとその一言だけを呟いた。 9 カナリの詠唱とともに、空中に浮かんだ四つの赤い光点が、矢となって《一本腕》に撃ち込まれた。《炎の矢》は最大4つまで発動させずにホールドさせることが出来、それを応用すれば(準備に相応の時間がかかるが)今カナリがしたように、同時に四発撃つことも可能だ。《炎の渦》では戦術上《一本腕》に肉薄せざるをえないシズを巻き込む恐れがあるのと、ツユギが前衛から一時撤退したことで、味方を誤射する可能性も低くなったとカナリは判断したのだろう。ホールド後の次弾の詠唱は起動部分を省略できるので、たしかに4回個別に撃つよりは効率が良い。 さすがに小うるさく感じたのか、顔面に飛来した《炎の矢》のひとつを、《一本腕》が分厚い二の腕を持ち上げて弾く。瞬間、がら空きになった胴にシズが切り込み、双剣をひらめかせて目にも留まらぬ乱撃を加えた。灰黒がかった花びらが《一本腕》の腹から舞い散り、わずかに苦悶の混じったような咆哮を洩らす。そして、痛みと怒りにまかせたような大ぶりの一撃を、今度は《一本腕》がシズに見舞おうとした。もちろん、回避にすぐれたシズのことだ。振り下ろされた《一本腕》の一撃を彼女は鮮やかなステップでかわした── ──かに見えた。 一瞬、何が起きたのか分からなかった。 気がつくと、僕のすぐ目の前で、シズが仰向けに倒れていた。 「シズ!」 幸い、シズのHPゲージは1/3ほど削られただけだった。戸惑いに耳と尻尾をぴくぴくさせながら、素早くシズが身を起こす。何が起きたというのだろう。たしかに、シズは攻撃を回避したはずなのに。《一本腕》が地面に右腕を叩きつけたその瞬間、紙のように跳ね飛ばされたのだ。 「風圧にもダメージ判定があるのか?」 シズに追撃させないように自分に注意を引き付けながら、クイが呟いた。いや、先ほどまでそんな効果はなかったはずだ。ある程度ダメージを与えて、《一本腕》の攻撃方法が変化したというのだろうか。先ほどのシズを見る限りでは、ダメージ判定だけでなく、《ふっ飛ばし》の効果もあるようだ。下手をすれば簡単にフォーメーションを崩され、力攻めをされて全滅せざるをえない。 詰まった。シズが囮になって隙を作り、そこにクイとカナリが攻撃をくわえ、僕が後方支援をすることで、長期戦に持ち込んでツユギの帰還を待ちつつ、徐々にHPを削っていく戦術が、これで崩された。《一本腕》の攻撃範囲が広がったことで、シズは今まで以上に距離を取るほかなく、そうなると彼女の持ち味はまるで生かせない。かといって、まともに正面から戦えば容易に力負けしてしまうことは、ツユギが証明している。ちくしょう、このままチェックメイトか。 いや待て、冷静になって考えろ。 ここは中級レベルの狩場で、僕らのレベルはここで狩りをするのにまず適正といえる。いくら出現率がレアな《ネームド》とはいえ、適正(20前後)レベルの冒険者では何も打つ手がないということがあるだろうか。攻略の切り口を変えてみることで、活路が開けるような、そういうバランス設定にされてはいないだろうか。もちろん、ただの無理ゲーという落ちもあるだろう。だけど今は、運営の良心(バランス感覚)を信じて、賭けてみるしかない。攻撃が(プレイヤー側からみて)左方向に偏りがちであること、比較的動作が鈍重であること、それ以外に、なにかまだ、奴の弱点がないだろうか。 そして、その光景が目に飛び込んできた瞬間、僕の頭の中で火花が散った。頭部を狙ったカナリの《炎の矢》を、のけぞるようにして《一本腕》がかわしたのだ。胴体や下半身に攻撃が集中していたときは、まるで無頓着だったのに。 「頭だ!」 はたと気がついて、僕は無我夢中に叫んでいた。 「奴の弱点って、たぶん頭なんだよ。きっと、他の部分よりずっとダメージが通りやすいんだ。だから、頭部への攻撃だけは防ごうとしているんだ」 僕の言葉にクイは目を見開いて、そして得心が行ったようにうなずいた。 「だがどうする? 一撃を加えるにしても、打点が高すぎる。《炎の矢》だけではいかんせん火力不足だ。なにか打つ手はあるのか?」 「それは──」 4メートル超の《一本腕》の巨躯を遠目に、僕は言葉を詰まらせた。たしかに、物理的な攻撃をくわえるには、リーチが足りなすぎる。クイの言う通り、攻撃を通す手段はカナリの《炎の矢》くらいだが、《ネームド》を絶命させるには威力不足と言わざるをえないし、防御を固められたら、いずれAPが尽きてそこで詰みだ。 考えろ、と僕は短刀を握る拳に力を込めた。どうする? どんな方法がある? こちらからは距離を詰めようがない。なら逆はどうだ? ヤツのほうから、距離を詰めさせる方法はないか? 瞬間、もう一度僕の頭の中で火花が散った。リスキーな方法だけど、これなら── 「シズ、次のタイミングでクイとポジションをスイッチできる?」 僕の言葉にシズは一瞬きょとんとしたような表情をすると、すぐに意図を察してくれたのか、ふっと微笑んで、うなずきを返した。ごめん、危険だけど、特攻役は身軽な君にしか頼めないんだ。 「カナリは出来るだけ多くの手数で、もう一度頭部に向かって《炎の矢》を。《一本腕》が腕を持ち上げて防ごうとするように、打点はなるべく低めで。空いたふところに、クイは飛び込んで。攻撃のことは考えず、奴が反応したらすぐに退避するんだ。あとはシズ、君が──」 それだけで、クイも全てを理解したようだった。「やれるのか?」という表情でシズを見やる。「やれます」という自信を笑顔にひらめかせて、シズが答えた。もこもこした両耳が、高揚したようにピン、と縦に伸びる。 女の子がここまで言ってくれてるんだ、僕も腹をくくるしかない。 「ツグミさん、援護をお願いできますか?」 「まかされた!」 すぐさま、僕は組み上げていた《湧き出る力》をシズに向かって発動させる。そして走り出したクイとシズの二人が、《一本腕》の数メートル前で交差するように立ち位置を入れ替えた。 「カナリさん!」 シズの声と、カナリの《炎の矢》が《一本腕》の顔面に吸い込まれるように撃ち込まれたのは、ほぼ同時だった。二人の動きに気をとられていた《一本腕》はその一撃をまともに食らい、苦悶の声を上げながら大きく上体をのけぞらせる。続けて二の矢、三の矢。たまらずに長大な右手を持ち上げて、《一本腕》がカナリの攻撃を防ごうとする。 そのふところに、一気に距離を詰めたクイが飛び込んだ。カナリの《炎の矢》で執拗に顔面を狙われた《一本腕》は、怒りの雄たけびを上げて、クイを叩き潰そうと右手を振り上げた。 《一本腕》が丸太のような腕をクイごと地面に叩きつけようとする、まさにその瞬間が、僕らの狙っていたタイミングだった。バックステップで素早く距離を取ったクイが(一撃を入れようとしていたら、風圧のダメージ判定内に巻き込まれていただろう)、返す刀で一気に飛び込み、《一本腕》の右手を地面に縫い付けるように、全体重をかけて片手剣を突き通したのだ。 次の瞬間、地面に突き通された《一本腕》の手の甲、間接のあたり、そして二の腕の部分を、まるでステップを踏むようにシズが駆け上がった。自分の体を駆け上りながら肉薄するシズを認めて、獰猛な猪めいた《一本腕》の顔が驚愕に歪み、威嚇の声を上げようとする口に、シズの双剣が刺しこまれる。くぐもった悲鳴をよそに、そのままシズはそのまま両手を左右に交差させた。後はもう(すさまじい速度のはずなのに)、スローモーションを見ているようだった。クイとシズを振り払おうと最後のあがきを見せる《一本腕》の頭部を、文字通りシズが切り刻んだのだ。右から、左から、また右から。まるで舞踏のように流麗に。吹き出る灰黒い花びらに身を委ねながら。 そして、ついに、どう、と《一本腕》の巨体が前のめりに地面に倒れ伏した。 シズはまるで軽業師のようにその巨体を踏み台にして蜻蛉を切ると、僕たちの方に振り返って、大量の花びらと化した《一本腕》を背に、はにかんだような笑みを浮かべた。 ごめん、鍵太郎。どうやら見せ場は全部、この子に持っていかれたみたいだ。 #
by kawa-75
| 2011-02-15 15:02
| シーム
2007年 07月 10日
6 《ゲーム》の舞台となる《迷宮》はいわゆる多層型のダンジョンで、B1F~B5Fまでを第一階層、B6F~B10Fまでを第二階層……というように、5階刻みで階層が分かれている。(何層まで存在するのかは公式でも明らかにされていないが、ユーザーの間では第五階層、B24Fまでの存在が確認されているらしい)もちろんこの手のゲームのセオリー通り、階を下るごとにモンスターが強くなっていくわけだが、B5FからB6Fのように層が変わる場合はその彼我も顕著になるようだ。 僕らは今、シズの先導でその第三階層のB11Fを駆けている。潅木や湖沼といった緑や水が目立った第二階層に比べ、第三階層は岩場や砂地といったいわゆる《荒地》を主体に構成されているらしく、ダンジョンを照らす魔法光もどこか荒涼としていてそれらしい。僕らは本格的にこの層に足を踏み入れるのは初めてといってもいいのだが、シズはちょうどこのあたりが適正レベルなのだろう、走り慣れた道を進むように迷うことなく僕らを先導していく。 《オークの首切り場》と呼ばれるB11F北奥の一帯に、オークの集落があり、そこに仲間がひとり取り残されている──というのがシズが求める”助け”だった。シズはその仲間と二人でクランを組み、今はこの第三階層を中心に活動していたらしいのだが、その過程で受けたオーク関連のミッションが想像以上に難儀で(「オークの肉切り包丁を入手せよ」というミッションで、一定以上の確率でオークが落とすのだが、出ないときはとことん出ないアイテムらしい)、そうこうしている間にオークの集団に囲まれてシズは死亡、もうひとりの仲間はオークの群れの中で孤立してしまっているというのだ。なら最悪死に戻りをすればいいじゃないかといえば、そう簡単に出来ない事情がある。それが、LIFEというパラメータの存在だ。 このLIFEという数値は全プレイヤーキャラクターに等しく10ポイント与えられ、死ぬごとに1ポイントずつ減っていく。そして数値が0になると、そのキャラクターは花びらとなって散り、消滅する。LIFEに関しては今のところどんなアイテムでも回復することや最大値を増やすことが出来ず、0になったら文字通り、それで終わりだ。そして何よりもまして重要なことは──LIFEが0になりキャラクターが消滅した場合、そのユーザーは《ゲーム》にログインする権利をも、同時に失ってしまうということだ。 この一見シビアすぎるように思えるシステム──LIFEは、公式の発表によれば、β版独自の処置らしい。とかく《ゲーム》はクローズβがリリースされる前から異常といっていいくらい注目度が高く、事実500人枠のクローズドβには10万人を超える応募者が殺到した。いち兄の話によれば、その選に洩れた大多数の人間の不満はそれはそれは凄まじく、二次募集の要望が運営に殺到したのだという。(そう考えると、単純なコネで《ゲーム》を始めた僕としてはどうにも肩身の狭いものがある)テストサーバの限界上、500人という枠を超えられず、といって何も手段を講じなければ今後のセールスに関わると判断した運営が出した苦肉の策が、このLIFEというシステム──「クローズドβにおけるキャラクターは、LIFEが0になると消滅し、その消滅とともにログインの権利をも消失する。消失後の権利は抽選ののち、次の待機ユーザーへと移譲される」──なのだそうだ。 つまり、《僕ら》の命は10個しかない。 クローズドβのキャラはオープンβ、また本サービスに引継ぎは出来ないと公式に明言されているとはいえ、またPKやPVPによる死亡はLIFEポイントのマイナスに影響しないとはいえ、この《ゲーム》における《死》が、他のゲームにおけるそれほど楽観できるものでないことは、この一事だけでも明白だろう。 「クイは、もうLIFEがあまり残っていないんです。だから、出来るかぎり助けてあげたくて──」 クイ、というのが相棒の名前なのだろう、シズは走りながらそう言っていた。その気持ちは分かるような気がする。僕だってリザードマンやハーピーのおかげでLIFEはもう2ポイント失っているし、他のメンバーだって似たりよったりだ。オンラインだけでの付き合いとはいえ(ツユギは違うが)、これだけ息が合うようになってきた仲間がある日消えてなくなってしまうようなことがあるなんて、実際のところ考えたくもない。 「見えました、あの大きな岩場の向こうが、《オークの首切り場》です」 不意にシズが立ち止まって、僕らにそう声をかけた。もう小一時間ほどは走ったろうか、穴場めいた道だったのか、シズが先導してくれたこれまでの道はモンスターの影がほとんどといっていいほどなかったが、彼女の指さす赤黒い巨大な岩山の向こうは、その禍々しい色のせいか、さすがに不穏そうな空気が漂っているような印象を受ける。 目を凝らすと、岩肌をなぞるように細い道が頂上に向かって伸びている。その向こうにカルデラのように窪んだ一帯があり、そこにオークが集団で巣食っているというのがシズの話だった。 「オークか。データだけ見りゃ、一対一ならそれほど厄介な相手じゃなさそうだがね。ま、集落っていうくらいだ、よほどの数がいるんだろうが」 「20体以上は覚悟しておいた方がいいと思います。中には数レベル上のオークもいるみたいで──私も気がつかない内に倒されてました」 シズの返答に、ツユギが苦笑めいた表情で口笛を吹いた。さすがに尋常な数ではなさそうだ。ハーピーと違って《動かぬ大地》が有効な相手である以上、多少の救いはありそうだが── 「ま、なんにせよキツイ戦いになりそうだな。ノイズがいりゃもう少し前衛に厚みが出てよかったんだが」 「仕方ないよ。とにかくPOTを出し惜しみしない方向でいこう。こっちの回復と被るかもしれないけど、ヤバイと思ったら迷わず手持ちのPOTを使った方がいい」 僕の言葉に了解、とツユギは返し、カナリもこくりとうなずいた。そんな僕らに申し訳なさそうな視線を向け、シズが少し表情を暗くした。 「すみません、無理を言ってしまって」 「いいって。とにかく急ごう。今は少しだって時間が惜しいわけだし──」 尻尾までうなだれるシズにそう声をかけると、僕たちは頂上に続く道を登り始めた。シズもすぐに明るい表情を取り戻すと、軽々と僕を追い越して先導していく。 そんな彼女の後姿を見ながら、そんなにすまなそうな顔をしなくてもいいのに、と僕は思った。僕もツユギも、多分カナリも、そしてここにいないノイズだって、きっとこういうハプニングが楽しくて、《ゲーム》をやっているのに違いないのだ。 7 岩山の頂上は、たしかにゆるやかなすり鉢状の窪地になっていた。ゴツゴツとした岩が雑然と幾つか地面から突き出ているだけで、基本的に視界を遮るものは少ない。 「向こうです!」 そうシズが指さした先に、鷲鼻のように突き出たひときわ大きな岩があり、その根元から金色の光が洩れ出ていた。そして、その光を取り囲むように、ゆうに2メートルはありそうな巨大なオークたちが群がっているのが見える。視界の中だけでも、17、8体といったところだろうか、オークたちはその光の中に侵入しようとして果たせず、豚に似た顔を醜悪に歪めている。 その光の中に、その少年はいた。ノイズのように機動性を重視しているのだろうか、軽鎧に身を固め、盾の類は持っていない代わりに、手甲で固めた両手の内、右手に水晶のようにきらめく片手剣を携えている。少年と形容したが、少女といっても差し支えなさそうな秀麗な顔立ちだ。光の加減でよく分からないが、短い銀髪に美少年めいたその容姿は、どことなく、《勇者》という形容を思わせる。ただ、今はその整った顔は疲労に歪み、彼は疲労しきったように肩ひざをついていた。光はそんな少年の左手から発している。この光はモンスター避けのアイテムだろうか? だがその光彩はもう明らかに弱々しく、今にもオークの集団の咆哮にかき消されそうに見える。 「クイ!!」 短く叫んで、シズは走りながら左手で緩やかに円を描くような仕草をし、口元で小さく何かを呟いた。瞬間、シズの全身が霞のように淡くゆらぎ、輪郭がおぼろげになる。味方単体の回避率を向上させる水属性の中位魔法、《眩ましの霧》だ。そのまま前傾姿勢を取り、両手を交差させながら腰元のベルトに手をやると、シズの両手に魔法のように小剣がひらめいた。そのまま一気に速度を上げ、彼女はオークの群れに正面から突っ込んでいく。シズの突進に気づいた何体かのオークが対象をシズに変え、彼女に群がろうと前進を始めた。光を囲んでいた他のオークも、新手の存在に気づいたのか、次々とこちらに向かってくる。 「おいおい、無茶しやがるなあ」 遅れて駆け出したツユギの呆れたような声をよそに、シズはまるで狩りに長けた若い豹のように、立ちはだかったオークの棍棒をかいくぐり、右手の小剣で浅黒い脇腹を斬り裂いた。続けざま、目にも止まらぬ速さで左手の小剣がうなり、鈍い悲鳴をあげたオークの首元と腹から、灰色の花が散った。 三体のオークに囲まれても、シズはまるでひるまない。背後に回った別のオークの一撃を素早し身のこなしで避けると、双剣が標的を変えてひらめいた。右、左、右、右、左。舞踏のように早く軽快なリズムで、シズを取り囲んだオークたちの体から次々と花びらが散っていく。 それにしても、なんという速さと手数だろう。パラメータの大部分をDEX(器用さ)とAGI(敏捷さ)に極振りしているのか、シズの一撃は鋭いがいかにも軽く、大きなダメージを与えきれていないように思えるが、圧倒的な手数の多さがそれを完全にカバーしている。さらに驚くべきは、あれだけの数のオークに囲まれて、決定的な一撃をまるでもらっていないことだ。《眩ましの霧》の効果もあるのだろうが、限界ギリギリまでの軽装をし、アイテム補正などで回避力の向上を突き詰めているのだろう。ある意味トリッキーなキャラ育成だと思うが、こういう育て方もあるのか。 「ツグミ」 杖を構え、魔法式を組みはじめたカナリの細い声が、僕の耳を打った。っと、感心している場合じゃない。僕も短剣を構えて土の魔法式を組み、詠唱を始めた。シズの後に続いたツユギも、僕ら後衛の壁になるような上手い位置でオークたちのターゲットを取り、槍を振るっている。 一瞬の判断のあと、僕はシズを対象に《湧き出る力》を発動させた。まず《動かぬ大地》でオークたちを足止めすることも考えたが、あれだけの手数を誇るシズの攻撃力を単純に向上させた方が、全体の殲滅効率の向上にもつながるだろう。 思惑通り、スピードはトップギアに入ったまま、シズの一撃一撃が明らかにオークの肉を深く斬り裂いていく。いつもと違う手ごたえに感じたのか、一瞬シズは目を丸くした。魔法の支援効果に気づいたのだろう、口元をほころばせると謝意をしめすように僕の方を振り返って片目を閉じた。 まさに縦横無尽、といったシズの動きにオークたちも翻弄されているのか、攻撃対象を見失ったオークの何体かが戸惑うような動きを見せ、逆に数が多いのがわざわいして、味方同士の行動を妨げ始めた。そうすると慣れたもので、ツユギは大きくバランスを崩した近くのオークの一体に渾身の力で槍を突き入れる。鈍い断末魔の叫びとともに、オークの喉元から間欠泉のように灰色の花弁が噴き出した。 「クイ、大丈夫ですか?」 オークたちが混乱する中、一足飛びに銀髪の少年のもとに駆け寄ると、シズが心配そうな表情でたずねた。 「シズ?」 銀髪の少年──クイは、そんなシズを見、そして僕らの方に怪訝そうな視線を向けながら、立ち上がった。さっきのタイミングでシズがPOTを使ったのか、その表情に数分前ほどの疲労の色はない。そして次の瞬間、少年の周囲を覆っていた強い金色の光が失われ、光の壁に行動を阻まれていた何体かのオークが少年に迫っていく。 「大丈夫、ツグミさんたちは味方です。私たちを助けてくれると──」 オークたちの何体かを、クイから引き離すように誘導しながら、シズが距離を取る。そんなシズに複雑そうな視線を向け、もう一度僕たちに鋭い表情を見せながら、 「……余計なことを!」 とクイは口惜しそうに叫んだ。そして、右手に持っていた片手剣を振り上げ、流麗な仕草でクイは魔法式を組み始める。次のせつな、剣を取り巻くように雷光がほとばしった。味方単体の武器に雷の追加効果を付与する風属性魔法、《属性剣・雷》だ。そのまま、クイは憤りをぶつけるように、近づいてきたオークの一体を雷光が走る片手剣で一閃する。 「──すごい」 僕は思わず感嘆の声をもらした。シズほどの速さはないが、クイも数体のオークを相手にしてまるで臆することがない。左手の手甲で棍棒の一撃を受け流し、その間隙に鋭い一撃を加えていくさまは、熟達した剣士のそれを思わせた。オークは土属性のモンスターだから、風属性のクイの属性剣はむしろ相性が悪いともいえるが、それでも追加ダメージは馬鹿にならないのだろう、袈裟懸けに斬られたオークが傷口を黒焦げにしながら、花びらを撒き散らし倒れ伏す。 なんにせよ、これで状況はずいぶん楽になった。クイが戦線に加わったことでオークたちの攻撃対象が3人にばらけたことが大きいし、ちょうどクイ、シズ、ツユギの3人がオークたちを三方から囲い込む形になって、その中央にオークたちが密集しはじめている。 カナリの《狂える炎》が発動したのは、まさにその瞬間だった。密集していたオークたちの中心で火球が炸裂したと思うと、赤黒い炎が瞬く間に拡散する。このレベル帯のモンスターにしては体力の高いオークのことだから、即座に全滅とまではいかないが、それでも巻き込んだ7、8体のオークの体力は大幅に削れたはずだ。 痛みに身をよじるオークたちを押しのけるようにして、無傷のオークたちが復讐の咆哮をあげて突進しようとする。途端、その動きが急速に鈍りはじめ、三体のオークがその動きを完全に止めた。次の魔法式を組み上げていた僕の《動かぬ大地》が発動したのだ。得たり、とばかりにツユギが距離を詰め、手負いのオークの一体を鋭い槍の一撃で刺し貫いた。 上手くいった。そう思った瞬間、僕は不思議な違和感にとらわれた。中央のオークたちの一体が、奇妙な動きをしているのだ。通常の個体とは違う、紫色の皮膚をしたそのオークは、まるで魔法式を組むように棍棒をゆらゆらと回している。まずい、あの動きは── 「オークメイジを!」 僕の警戒の声にすぐさま反応したのはシズだった。眼前のオークの鼻面に鋭い一撃を浴びせてのけぞらせると、ましらのように跳躍し、自分の腰ほどもある腕を振り上げて魔法式を完成させようとしていたオークメイジの近くまで一気に間合いを詰めた。そして間髪いれずに双剣で×の形を描くようにその肉体を斬り刻む。魔法の発動を中断されたオークは、苦悶の咆哮をあげて後退した。この状況で魔法を発動されたら事だったが、間に合ったか。それにしてもまるで曲芸のような動きだ。 「お見事」 そう呟いた僕の声が耳に届いたわけでもなかったろうが、続けて三度の連撃を叩き込んでオークメイジを完全に沈黙させると、シズは僕の方を振り返って陽気な仕草でピースサインをしてみせた。 ともあれ、どうやらこれで大勢は完全に決したようだ。カナリの《狂える炎》で深手を負ったオークたちはクイとシズが迅速に仕留め、《動かぬ大地》で行動を封じていたオークたちもツユギが掃討しつつある。カナリも今は一敵一殺に行動を切り替え、《炎の矢》で3人の手に余ったオークたちに確実にダメージを与えていく。見たところ、20体はいたオークたちの内、満足に行動できているオークはもはや3、4体といったところだろうか。こうなると、もう残敵掃討の段階といっていいだろう。そう思って僕が肩の力を抜こうとした瞬間── 「来るぞ!!」 クイの鋭い声が耳を打った。 と同時に、オークたちの屍骸が折り重なった中心に、巨大な黒点が出現する。モンスターが転移する前兆ともいうべきおなじみの現象だが、新手か、と思った僕は、その黒点のあまりの巨大さに目を見開いた。通常の3倍、いや、ゆうに5倍はあるだろうか。 「気をつけろ、《ネームド》だ!」 「《ネームド》──」 シズの声にも緊張の響きが混じる。とたん、黒点がさらに膨張したかと思うと、通常のオークをふたまわりも巨大化させたような、赤銅色の肌をした巨大なオークが眼前に出現した。左腕がなく、右腕が異常発達したように(なにしろ立った状態で地面まで届くのだ)肥大化したそのフォルムは、獣人というよりもはや悪魔めいた禍々しさを感じさせる。むき出しの乱杭歯に邪悪な笑みを浮かべたその頭上の空間に、《一本腕》という赤い文字が浮かびあがった。見るのは初めてだが、なるほど、だから《ネームド(名のある)モンスター》か。 《ネームドモンスター》、略称《ネームド》は、例えばオーク、という種族名だけでなく、この《一本腕》のように固有の個体名を持つ、いわゆるレアモンスターだ。ゾーンボス、エリアボスとも表現されるように、通常の同種族モンスターとは異なる外見、そして遥かに高いレベル、攻撃力、特殊能力を有する、いわゆるボス格のモンスターといえる。それだけに出現の条件も厳しく、レアアイテムを落とす確率も高い。 なるほど、合点がいった。いくら多勢に無勢だったとはいえ、十分に適正レベルと思われるオークにシズだちが不覚を取ったというのはどうも考えにくかったが(少なくとも逃げおおせることは出来たはずだ)、《ネームド》が相手であれば仕方がない。 《一本腕》は完全に転移を終えると、巨大な右腕で地面を叩き、エリア全体を震わせるような雄叫びをあげた。咆哮そのものに何らかの効果があるのか、全身に痺れが走り、わずかに体が重くなっていく。隣に視線をやると、カナリもわずかに表情をしかめて、自分を支えるように杖を地面に突き立てた。 「お前たちはもう少し距離を取れ! 《一本腕》の咆哮は範囲内にいるだけでAPを削られていくぞ!」 クイの叱責が飛ぶ。その鋭い声と、身も凍るような《一本腕》の咆哮に押しのけられるように、僕とカナリは後ずさりながら距離を取った。マニピュレータを見ると、たしかにAPがわずかだが削られている。さすがに《ネームド》ともなると、厄介なスキルを持っているようだ。 「お前たち、LVは? 少なくとも20はあるだろうな?」 片手剣を水平に構えながら訊くクイに、近場にいたツユギがうなずいた。実のところ僕とカナリはまだLV20に達してはいないのだが、まあ四捨五入すれば嘘ということはないだろう。 「ならこの頭数なら何とかなるか──。いいか、三方から攻める。シズ、君は中央であいつの注意を引き付けて。僕は右から。そっちの大きいのは左。後衛は臨機応変に援護を。いいか?」 続けざまにクイの指示が飛ぶ。大きいの呼ばわりされたツユギは苦笑しながら肩をすくめたが、べつだん異論はないらしい。元々これは彼らの戦いなのだし、バラバラに戦って各個撃破されるよりは、指揮系統は統一されていた方がいいに決まっている。 それにしても《ネームド》とは、と僕は内心でため息をついた。 ノイズには何て言い訳しよう。首尾よくいっても、敗走したとしても、きっと明日彼女には文句を言われ続けるに違いない。最悪LIFEを失うことになるだろうが、そうそう出会えるはずもない相手だ。《ネームド》とやりあったと聞けば、さぞ羨ましがることだろう。 黒い短剣を構えなおす。どうする? まずは《大地の守り》で守りを固めるか、あえて《湧き出る力》で速戦を狙うか── 高揚感とともに僕は思う。今夜は長い夜になりそうだ。 #
by kawa-75
| 2007-07-10 22:31
| シーム
2007年 02月 13日
4 「よう、待たせたか」 安全エリアに林立する水晶柱の一本に寄りかかって、手持ち無沙汰な時間を鼻歌でまぎらわしていると、いつの間にインしていたのだろう、ツユギが目の前に立っていた。あれ、と思って手元のマニピュレータのクラン情報を見ると、たしかにツユギの名前がオンライン表示になっている。 「うわ、全然気がつかなかった」 「なんかご機嫌だったからなあ、お前」 からかうような口調でツユギは言うと、長槍をまるで健康器具のように持って、大きく伸びをした。黒鉄色の鎧のプレートが、鈍い金属音を立てる。元々長身で肩幅も広いツユギがそうしていると、なんだかすごく映えて見える。僕が前衛スキルを取らずに後衛スキル中心に育成しているのは、性分もあるけど、とてもこういう武具や甲冑が似合わないだろうなと思ったことも大きい。ゲームだから好きなようにやればいいのだろうけれど、五月人形みたいだなとツユギに笑われるのがやる前から目に見えている。 ちなみに、僕とツユギの外見は、現実のそれとさほど大きな変化はない。多少目や髪、肌の色はいじってはいるが(僕は赤みがかった茶色の髪に鳶色の目、ツユギは肌を褐色に変えている)、キャラクターの容姿自体は作成時にスキャンされた自分自身のそれに大した修正を加えてはいないからだ。(せっかくだから思い切り背を伸ばそうかとも思ったが、さすがにむなしくなったのでやめた)ノイズ、カナリに関しては現実の彼女と会ったことがないから比較はできないが、多分、印象が大きく変わるということはないだろう。 「で、なにがあった?」 「……別に」 「ま、色々と予想はつくがね」 悪戯っぽい仕草で片目を閉じながら、ツユギはわざとらしく大あくびをしてみせた。ちくしょう、何もかも見すかしたような目をしやがって。そう僕が心の中で舌を出すと、ツユギは急に真面目な顔になって、僕と同じように柱に背中をあずけた。不思議な光景だ。ぼんやりとそんなことを思う。どれだけ良く出来ていたとしても、ここはデジタルで作られた世界──仮想空間であることは分かっているけれど、水晶作りのこの空間が非現実的であればあるほど、奇妙なリアリティをもって迫ってくるような気がする。子供の頃に夢見た空間、ゲームの中の登場人物たちが辿る場所、そんな幻想がそのまま形を為したような、そんな風景。 ふと、顔を上げる。柱と同じ水晶作りの天井が、幻想的な光をはなつさまを、少しのあいだ、僕らはぼんやりと眺めていた。 「正直、ちょっと安心したよ」 どこか神妙な顔のまま、ぽつり、とツユギが呟いた。 「?」 「……お前が、ようやくそういう気持ちになれたってことがさ」 「…………」 そう呟くツユギの顔がなんだかひどく年上めいて見え、僕はなんだか複雑な気持ちになって視線をまた空に向けた。なんというか、同い年なはずなのに、鍵太郎に比べて自分がひどく子供に思えて嫌になる。 そういう気持ち、か。 鍵太郎と美早がいわゆる彼氏彼女になったとき、まず最初に感じたのは寂しさだったと思う。目には見えないけれど、でもたしかにある階段をひとつ、僕を残して二人だけが昇ってしまったような、そんな不安感と寂しさが、二人を祝福したいという気持ちと同じくらい大きく、僕の中にはたしかにあった。そして今、ようやく僕はあの時の二人のような、そんな気持ちでいるのだろうか。天澤さんと、鍵太郎や美早のような関係になりたいと、そう思っているのだろうか。 分からない。 天澤さんことが、気にならないといえば嘘になる。天澤さんが時折見せる、まるでそのまま空気に溶けてしまいそうな淡い笑顔を見ているだけで、胸の奥がむずむずするような気がするし、もしそんな彼女の力になれるなら、僕は出来るだけのことをしたいとそう思う。だけどそれが、いわゆる世間一般で言うところの、恋愛感情なのかと訊かれたら、僕は── くしゃ、と髪に触れる大きな掌の感触がした。 「ま、のんびりいこうや」 僕の髪をぐりぐりと弄り回しながら、ツユギは笑った。その顔がどこかいち兄に似ていて、それがなんだか妙に悔しくて、僕は憮然とした表情でツユギの手を振り払った。 「……余計なお世話だ」 ツユギはそんな僕を見やって、そして目を細めて小さく、そうだな、と呟いた。 不意に、手元のマニピュレータが明滅し、素朴な効果音とともにギルド情報のカナリの名前の脇にオンラインのマークが点灯した。数瞬のあと、僕らから少し離れた空間に、虹色の光彩が沸きあがる。 「ま、相談したいことがあれば、いつでも声かけてくれや。俺も美早もこれでも興味深々──いやいや、心配してるんだよ。まあ、人生の先輩として、色々アドバイスしてやれることもあるだろうさ」 「……ちょっと自分が先に生まれたからって偉そうに」 からかうように言ったツユギにそう毒づくと、僕は柱から身を放した。やがて光彩は空気に溶け込むようにして淡く消え、僕らの視線の先にはダークブラウンの髪をお下げにした小柄な少女──カナリが立っていた。 僕たちの姿を認めると、カナリはとてとて、という擬音が似合いそうな仕草で歩みより、 「……遅れた?」 と細い声で訊いた。 「いや、むしろカナリが時間ぴったり。僕らがすこし早く来すぎただけだよ」 そう言うと、カナリは安心したように、少しだけ口元を緩ませた。元々無口なたちなのか、カナリは言葉数の多い女の子ではけしてないのだが、時々見せるこういったやわらかい表情から、僕はこの子はきっとすごく良い子なんだろうな、と心底思っている。 「んじゃ、あとはノイズを待つだけか」 「ああごめん、言い忘れてた」 ツユギの言葉を受けて、僕は手元のマニピュレータを軽く指で弾いた。 「ツユギが来るちょっと前、ノイズから連絡があってさ。ちょっと立て込んでて、今日は来れないってさ」 言いながらメッセージの履歴を二人に見せる。『野暮用発生、本日不参加』とノイズらしい簡潔な一文。面と向かうとけっこうおしゃべりなのに、メールやメッセージだと不思議と言葉数が少ないんだよな、ノイズは。 「マジか。今日はもう一層くらい下に潜ろうかと気合入れて来たんだけどな」 「都合が悪いんじゃ仕方ないよ」 僕の言葉に、カナリは相変わらずのどこか茫洋とした瞳で視線を向けた。じゃあ今日はどうするの、とそう言いたいのだろう。 「とりあえずどうしようか? ノイズがいないとなると、あまり深いところは厳しいと思うんだけど」 「かなり不味くなっちまったが、B8Fの潅木地帯でトカゲ狩りが妥当かね」 僕はうなずいた。リザードマンには余りいい思い出はないが、たしかにそのあたりが無難だろう。経験値効率は悪いだろうが、その分POT代は節約できるはずだ。そう思ってカナリを見やると、彼女は小さく首を縦に振った。異存はないらしい。 「じゃあ──」 ゲートに向かおうか、と言おうとした僕の言葉は、突如数メートル先に出現した虹色の柱に遮られた。どうやらどこかのプレイヤーが転移してきたらしい。さきほどのカナリの時に比べて色が青みがかっているところを見ると、これは死に戻り(ダンジョン内で死亡したさい、強制的に最後にマークした安全エリアまで戻されること)か。 光芒が消えさったあとの地面に、ちょうど僕と同じくらいの背格好の少女がうずくまっていた。まだ気絶状態を引きずっているのか、力ない動作でそのままぺたり、と前のめりに地面に崩れ落ちる。普通なら回復アイテムなりですぐに復活するところだが、プレイヤー自身にも何かあったのだろうか。 カナリがどうするの、という視線を僕に向けた。余計なお世話かもしれないが、このまま放置していくのも、なんだか気分がよくない。僕はツユギに目くばせすると、少女のそばに駆けよった。ツユギが少女の背に腕を回して抱き起こすと、僕は右手で《癒しの砂》の魔法式を組み、詠唱を始める。数秒後、あたたかな熱とともに、少女の体が淡い光に包まれた。全体的に革系防具が中心な軽装というところをみると、スカウト系のスキルを中心に育成しているのだろうか。見れば、ショートの黒髪から大きな猫耳がぴくぴくと動いていて、この子が獣人族(といっても耳と尻尾以外は普通の人間と大差ないのだが)であることに僕は気づいた。うわ、本当にふさふさした耳なんだな。 耳に触れたい、むずむずとした衝動を抑えながら、僕は詠唱を終えた。HPも回復しきったのだろう、少女はツユギの腕の中で小さく身をよじり、うっすらと目を開けた。 目が合った。くりっとした元気そうな目だな、と思っていたら、少女は怪訝そうな視線になって僕を見、まるでブリキの人形みたいにギギギ、と身をよじって自分を抱きとめているツユギを振り返り、 「あ……」 「あ?」 そして、 「……っ、☆▼#□※!!!」 悲鳴をあげた。 5 「……本当に、本当に、ご無礼をいたしました!」 「別にそこまでかしこまらなくても……」 いやに古風な言い回しをする子だな、と思いながら僕が苦笑しながらそう言うと、少女はいっそう恐縮したように小さな体をくの字に折り曲げて深々と頭を下げた。 「その、本当に悪気はなかったんです。突然のことで、思わずつい、その、右手が、ぱーん、と」 必死にそう言う彼女の耳は、まるで耳全体が反省しているかのようにぺたんとしおれていて、ズボンの後ろから垂れている尻尾も心なしか元気がない。ぴく、ぴくとまるで申し訳なさそうにわずかに左右に揺れるさまがなんだかひどくおかしくて、僕は思わず吹き出してしまった。 「なんか割り切れねぇ……」 憮然としたその声に振り向くと、頬に鮮やかな掌のあとを残したツユギが、ふてくされた表情でそっぽを向いていた。あの顔は、この子に頬をはられたことより、頬をはられてしまった自分に向いてるんだろうな。そう思うと、その横顔がさっきとはうって変わって妙に子供じみて見えて、僕はもう一度吹き出した。 「……なんだよ」 「いや、女の子に頬をはられる鍵太郎も、なんか絵になるなと思ってさ」 「……悪いがこちとら文系科目はからきしなんだよ。発言者の意図を、明確に、平易に、句読点含んだ5文字以内で表現してくれ」 「ええと……『かっこ悪い』?」 「…………」 「その……すみません」 言い合う僕とツユギを交互に見やりながら、まだちょっとおびえた感じの声で、少女がツユギに正対して頭を下げる。どう反応したものか、という感じでツユギは鼻の頭をこりこりと指で掻くと、 「あー、まあ、こっちも誤解されるようなマネしてすまなかった」 ふるふる、と少女は首を振る。あくまで非は自分にある、と言いたいのだろう。まっすぐな子だな、と微笑ましい気持ちになりながら僕は思ったが、これではいつまで経っても話が終わらない。 「でも、僕たちも悪かったと思う。びっくりさせたこともそうだけど、ダンジョン内ならともかく、安全エリアで辻回復ってのも、余計なお節介だったかもしれないし」 そう言うと、少女はまるで扇風機みたいに首を振り、 「そんな! ちょうどPOTの手持ちも少なくなっていましたし、本当に助かりました」 「そんなに大げさにお礼を言われるほどのことじゃないよ」 「いえ、“恩は等しく、讐は乗して”返せ、というのが我が家の家訓ですので。必ず、このご恩に報いさせて頂きます」 まっすぐ僕を見つめてそう言うと、もう一度深くこうべを垂れた。猫耳がそれに合わせるようにぺたんとしおれる。そういうキャラクターを演じているというより、どうもこれがこの子の地なのだろうな、と僕はなんとなくそう思った。それにしても“しゅう”って復讐の讐だろうか。だとしたら怖すぎる家訓だ。 「うん、じゃあそんな機会があったらね」 人の好意を無碍に断るのもなんだと思い僕がそう答えると、はい! と少女は満面の笑みを浮かべてうなずいた。感情が素直に顔に出る子なんだなあ。言乃もこのくらい喜怒哀楽がはっきりしてれば、もう少し兄としての威厳も保てるのに。 言乃に気付かれたら白い眼で見られそうなことを考える僕を少女はきょとんとした顔で見つめていたが、ふと何かに気付いたように、胸の前でポン、と手を合わせた。 「そういえば、まだ名乗ってもいませんでした。ご無礼をお許し下さい。私は──」 思わず本名の方を口走りそうになったのか、少女は一瞬わたわたした仕草で口ごもると、 「シズ、と言います。カタカナでシズ、です」 気を取り直してそう言った。シズ、か。漢字に直せば静といったところかな。見た目どうみても活発そうなこの子の名前にしてはちょっとギャップがあって、僕はなんとなくおかしくなってしまった。 「僕はツグミ。それから、この大きいのがツユギで、この子がカナリ。もうひとりノイズっていうアタッカーがいて、その4人で今はクランを組んでる」 僕のすぐ後ろでずっと沈黙を守っていたカナリは、そう紹介されると、ちら、という感じにシズを見やり、首をかすかに傾げて会釈の仕草をした。シズはそんな僕たちの顔を順番に眺めてから、 「ツグミさんにツユギさん、……カナリさん。覚えました」 弾むような声でそう言うと、嬉しそうに口元をほころばせた。その表情がなんともいえず和やかで、僕はまた微笑ましい気分になってしまう。ここが仮想空間である以上、当然普段とはまったく違う自分を演じているプレイヤーもいるだろうし、時には性別すら偽っている場合だってあるだろう。それがある意味《ゲーム》の醍醐味だと思うのだが、この子の場合はあまりそんな風に思えない。なんというか、育ちの良さがそのままこの子の明るさに繋がっているというか──いや、あって十分も経ってないというのに、そう断定してしまうのもおかしな話だけど。 「──あ、あの?」 そんなことを考えていると、ふと、目の前のシズがうつむきかげんに首をすくめ、戸惑うような声をあげた。気がつくと、息のかかりそうな距離で彼女を見つめてしまっていたらしい。 「お前、そりゃちょっと勘違いされる距離だぞ」 からかうようなツユギの声に、シズは小麦色の頬を染めて、ますますうつむいた。しまった、つい言乃にするような距離感で接してしまった。 「あ、その──ごめん」 「いえ、そんな──」 なぜかぺこぺこと謝りあう僕たち。今さらながら恥ずかしくなってしまった僕の背中越しに、カナリのかすかな溜め息が聞こえる。うわ、きっと今僕の顔は真っ赤になってるだろうな、というくらい頬が熱い。ツユギはといえば、さっきの意趣返しのつもりか、遠慮仮借なくけたけたと笑い声をあげていた。ああもう、そんなに笑わなくたっていいじゃないか。そう僕がツユギに何か一言いってやろうと顔を上げた矢先、 「──あ」 シズが、固まっていた。 「…………?」 僕とツユギ、カナリの視線がシズに集まる。 「あ、あ──、あ──!」 シズがなにかとんでもない忘れ物を思い出したように声を上げると、それにあわせたようなリズムでネコミミも逆立った。どうしようと繰り返しながら、その表情がみるみる暗くなってゆく。その心中を表すように、茶色い尻尾が落ち着きなく左右に揺れていた。 「あの、シズ……?」 おそるおそる僕が声をかけると、シズが振り向くよりも早く、彼女の尻尾がぴん、と立った。そして彼女が助けを求めるような瞳で僕を見、次の瞬間、 「ツグミさん!!」 「わっ」 僕は押し倒されていた。 まるで元気のいい飼い犬が主人にそうするように、シズが飛びついてきたのだ。とっさに受け止めきれずに、仰向けに倒れた僕にのしかかるようにして、 「ツグミさん、お願いします! 《私たち》を助けて下さい!!」 さっきよりももっと近く──鼻が触れ合いそうになる距離で、そうシズが叫んだ。 「え? いや、ちょっと、シズ?」 わけが分からず戸惑う僕の耳を、今度はそれと分かるようにはっきりと、カナリの溜め息が打った。 #
by kawa-75
| 2007-02-13 21:57
| シーム
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