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2006年 06月 22日
シーム
《仮想迷宮》。 ギアテック社が開発し、未だクローズドβの段階ながら、現在国内外で最も注目を浴びているダイブ型オンラインゲーム。専用のフルフェイス型インターフェースを使用し、”ほぼ”現実に近い擬似世界での冒険を体験できる。(β版で用意されているフィールドは、地下迷宮と呼称されるダンジョンエリアのみ) ゲームタイプとしては、剣士、魔法使いといった特定の職業を選択するジョブ選択方式ではなく、経験値とともに累得するSP(スキルポイント)を消費し、様々なスキルを獲得していくことによってキャラクターを強化させていくスキル選択方式。同様にレベルアップ時にはPP(パラメータポイント)というものが与えられ、これを各種パラメータに振り分けることによって、キャラクターは成長していく。(各種装備アイテムには、装備するための必要スキル、必要パラメータが定められている) 現在、クローズドβ試験運用中。参加人数はギアテック社の公表によると、日本国内では500人。海外サーバを合わせると3000人。20××年5月現在、大きなトラフィックの混乱、深刻なバグ等は発見されず── 1 桂美早は、市ノ瀬言乃に嫌われている。 もちろん、面と向かって言乃にそう言われたわけではないのだが、少なからず、美早はそう思っていた。だから、「折り入ってお話があります」と昨晩言乃から電話があったときはひどく驚いたし、現にこうして言乃を待っている今も、何かの間違いじゃないかと半信半疑な気分でいる。 (まあ、あの子が約束を破るなんて思えないけど……) 言乃に呼び出された先の公園通りのベンチで、ぼんやりと細切れの雲を散りばめた空を見上げながら、美早はふとそんなことを思った。約束の時間よりも随分早く来てしまったせいもあって、言乃の姿はまだ見えない。 市ノ瀬言乃といえば、美早の中では無表情と無関心の代名詞だ。事実、言乃が家族以外の人間対して言葉を荒げたり、笑ったりする場面を美早は見たことがないし、年頃の女の子なら目を輝かせるような──色恋沙汰やお洒落、誰それの噂話といった類の──ものに対しても、まるで表情を崩すようなことがない、そんな印象を持っている。彼女がその口元をわずかに緩めることがあるのだとすれば、それは本当に家族(特にすぐ上の兄であるところの市ノ瀬つぐみ)に対してだけだと、美早は思う。 といって、言乃はけして非常識な少女というわけではない。むしろ、言乃以上に他者に対して礼儀正しい少女を、彼女と同世代の少年少女たちの中で見つけるのは正直難しいほどだ。自分に厳しく、常に毅然とし、目上や年長者に対しての礼儀と丁寧な言葉遣いを忘れない少女。けれど、美早にはその「礼儀正しさ」が、むしろ言乃の作っている壁に思える。砕けた態度や隙をいっさい見せず、「礼儀」というレールを境に相手に踏み込まない代わりに、自分にも踏み込ませない、まるで他者との関わりそれ自体がわずらわしいとでもいうような、そんな雰囲気を美早は言乃の「礼儀正しさ」の奥に感じるのだ。 家族以外の人間に対しては、好きも嫌いもない。市ノ瀬言乃とはそういう少女だと、美早は思っていた。幼なじみといえるくらい古くからの顔なじみであるはずの美早や鍵太郎にしたところで、彼女とのつながりは結局のところ、つぐみやひよりを通してのものでしかない。だから、ある日を境に、言乃が自分のことを時折、さりげない視線で見やるようになったとき、美早は心底驚いたものだ。言乃の押し黙った表情からは自分がけしていい感情を持たれていないことはすぐに分かったが、たとえマイナス方向にしろ、言乃が市ノ瀬家以外の人間に対してつよい関心をしめすこと自体、美早にとってはひとつの事件だった。 さて、と美早は思う。状況を整理してみよう。なぜ、とつぜん自分は市ノ瀬言乃に嫌われてしまったのだろうか? 他人事のように自分のパーソナルデータを思い起こす。桂美早、16歳。泉城学園1-A所属、同級の露城鍵太郎とは幼なじみにして彼氏彼女の関係。市ノ瀬言乃の兄、1-Dの市ノ瀬つぐみとは、同じく幼なじみ。こちらは手のかかる弟みたいな存在。今は特定の部活動はしていないが、中学時代は陸上部に所属、県大会でそれなりの成績を収めていたという自負はある。好きな色は青、和食よりは洋食派、エトセトラ、エトセトラ。さて、ここから導き出される市ノ瀬言乃との接点は── (どう考えても、つぐみの事以外ありえないだろうなあ……) 羅列するまでもなく、美早はそう嘆息した。鍵太郎と自分が正式に彼氏彼女としての付き合いをはじめたのは、泉城の中等部にあがったばかりの夏のことだから、ちょうど3年くらい前のことになる。忘れもしない、夏祭りの夜のことだ。耳に飛び込んでくる蝉時雨と、夜空を覆いつくす満開の花火の下で、突然鍵太郎に肩を引きよせられ、キスされた夜のことを、まるで昨日のことのように覚えている。それから鍵太郎は柄にもなく、耳まで赤く染めて、肩を小刻みに震わせて、言ったのだった。 『なんというか、ずっと思っていたことなんだが、今言うわ。まあ、その、なんだ……』 ああくそ、と落ち着かない仕草で髪をくしゃくしゃとかきながら、 『……お前が好きだ』 あのときの鍵太郎の表情を思い出すだけで、美早はこみ上げてくる笑いを止められない。あのクールな鍵太郎の、あの神妙な顔! そしてひとしきり笑ったあと、早鐘のようにどきどきと胸を高鳴らせている自分に気づくのだ。 その日から、二人はいわゆる彼氏彼女になった。つぐみは「早すぎたくらいでしょ」と笑っていたけれど、3人の時間が少しずつ減っていって、二人だけの時間が少しずつ増えていったことに対しては、やっぱり寂しそうな表情を見せていた。そういえば、私のことをお姉ちゃんと呼ばなくなったのも、あの頃からだったな──本人は、「中学生にもなって恥ずかしくて呼んでられるか」なんて言ってたけど。 大分間が空いてしまった気もするが、言乃が自分にアクションを起こしてくるとすれば、そのあたりの事情しか、ちょっと思いつかない。まさか自分と鍵太郎とつぐみで三角関係を描いていたとは思っていないだろうが── 不意に、雲の切れ間から強い光が差し込んで、美早は思わず目を細めた。かすかな熱気を含んだ風が、トレードマークのポニーテールと、学校帰りの制服のスカートを揺らす。初夏、というほどの季節ではまだないが、公園通りの木々は青々と色づいていた。早く夏にならないかな、と美早は思う。活動的な美早にとって夏はなにより好きな季節だし、それに、まあ、夏はなんといっても、思い出の季節なので。 ふと、息づかいがした。 気がつくと、ベンチに腰かけた美早の足元に、小さな影が落ちていた。美早の姿を認めて、走ってきたのだろうか、白い頬はほんの少し、薄いピンク色に上気していた。市ノ瀬言乃が、そこにいた。 「申し訳ありません。お待たせしてしまいました」 言乃が指定した約束の時間まではまだ20分ほどあるから、これは美早が早すぎたというべきで、言乃に落ち度はないのだが、性格なのだろう、端正な顔をひきしめて、言乃は頭を下げた。 「そんな、かしこまらなくたっていいよ。だいいちまだ約束の時間じゃないんだし、私が早く来すぎただけなんだからさ」 「ですが──」 「それに、そのしゃべり方。ほら、私たちだって知らない仲じゃないんだし、そんな他人行儀に堅苦しくなくてもいいんだって」 もどかしそうに胸の前で手をばたつかせながら、美早は答える。言乃はじ、と意志の強そうな瞳を美早に合わせ、無言のままもう一度頭を下げた。 綺麗な子だな、と美早は改めて思う。言乃やつぐみの母である市ノ瀬ひよりは、可愛らしい、という表現がこれ以上ないくらいしっくり来る女性で、笑ってしまうくらいにつぐみもその雰囲気を受け継いでいるが、言乃はそんなひより─つぐみラインとは一線を画した、凛とした綺麗さを感じる少女だった。 (深呼吸、深呼吸) どうもこのまっすぐな瞳を向けられていると勝手が違う。美早はこほんと咳をひとつすると、 「で、話したいことって、なに?」 そう水を向けた。そして座りなよ、と自分が腰掛けていたベンチを隣を指でとんとんと、叩く。言乃は軽く会釈をして、美早の脇に腰を下ろすと、 「天澤はるかさん、という方のことなのですが」 そう呟くように言った。 「単刀直入に聞きます。どのような方なのでしょうか?」 「どのような、って──」 美早は目を丸くした。てっきり話というから、つぐみ関連のことだとばかり思っていたのだが、まさか天澤はるかの名前が出てくるとは。 「って、言乃ちゃん、天澤さんのこと知ってるの?」 「直接の面識はありません。あるのなら、このような質問はしません」 淡々とした口調で言う。その言葉と美早を一瞥する視線の冷たさに、美早は、う、やっぱり嫌われてる……と落ち込みそうになったが、すぐに気を取り直して、「それもそうだね」と力ない笑顔とともに返した。 「どんな人、か。私も、天澤さんのことは、あまりよく知ってるわけじゃないんだ。クラスだって違うし、今のところは、つぐみを通しての付き合いだしね」 もちろん今後はもうちょっとステップアップしていくつもりだけど、と思いながら言乃の方を見やる。どこか隔意ありげなその表情を見て、こっちのステップアップは難しそうだ、と美早は嘆息した。 「だから、天澤さんのことは、たぶんつぐみが一番詳しいんじゃないかと思うけど……そうだなあ、ひとことで言えば、綺麗な人」 「綺麗、ですか」 言乃の反駁にうなずきを返すと、美早は続ける。 「はかなげ、っていうのかなあ。なんか、ぎゅって思い切り抱きしめたら壊れちゃいそうな、そういう綺麗」 言乃が凛とした強さを感じさせる少女だとすれば、天澤はるかはどこか線の細い、儚げな印象のある少女だ、と美早は思う。深窓の令嬢、というと大げさかもしれないけれど、同性の自分から見ても、思わず保護欲をそそられてしまいそうな、憂いを帯びた雰囲気が、彼女にはある。 一度だけ、夕暮れの中に佇む彼女を見たことがある。学園の校門の前で、多分つぐみを待っていたのだろう、鞄を両手で持ち、泉城の夏服を夕焼けのオレンジに染めながら佇む彼女の姿は──陳腐な表現だと自分でも思うけれど、ひどく絵になっていた。そのまま、夕日の赤に溶けこんでしまうんじゃないかと思うほどに。 「月並みな表現だけど、守ってあげたくなる人、かな。天澤さんは。男子にもすごく人気のある人だよ。大人しくて、あまり積極的な感じじゃないから、男っ気はあまりないみたいだけど」 「…………」 美早がそう結ぶと、言乃は何かを考えるような仕草で、足元に視線を落とした。耳にかかる部分の髪を弄びながら、わずかに目を細める。 そんな言乃の仕草を横目で見ながら、 「ね、言乃ちゃん」 「はい」 美早はためらいがちに、でも訊きたくてたまらなかった質問をした。 「その、さ。……どうして、天澤さんのことを?」 「……知りたい、というだけでは答えになっていませんか」 「できれば、その”知りたい理由”を、お姉さんとしては知りたいんだけどな」 冗談めかして言った美早の言葉に、言乃は形のよい眉をわずかにひそめて、そして小さく息をついた。 「兄が、その天澤さんという方のことを、とても気にしていました。はっきりとはしませんが、おそらく大きな悩みを抱えているのではないかと。たぶん、なにがしか力になりたいと、考えているのだと思います」 だから、と小さく呟いて、言乃はその後の言葉を飲み込んだ。だから、そんなつぐみのために、自分も力になりたい──言葉こそなかったが、足元に視線を落としたままの言乃の表情から、そんな思いがにじんでいるように美早には思えた。 まったく、と微苦笑まじりのため息をつきながら、美早は思う。どうして、こうつぐみの周りの人間は、こうも彼の世話を焼きたがるのだろう。(それにしても言乃は顕著な気がするが)外見がああだから誤解されがちだが、つぐみはあれでおどろくほど芯の強いところもあるし、男の子らしいところもある。見た目ほど頼りないわけではないはずなのだが、どうも放っておけない雰囲気があるのか、市ノ瀬家の面々にしろ、美早や鍵太郎といった友人たちにしろ、つぐみを前にすると保護者然として世話を焼かずにはいられないのだった。 (天澤さんも、そこにころりといってくれればいいんだけど……) 美早は思う。つぐみにとっては不本意な話だろうが、多分、つぐみがああいう男の子──女の子然とした顔立ちで、”男”をあまり感じさせない小柄な体で、でも男の子たらんとして一生懸命背すじを張っているような──だからこそ、天澤はるかにあそこまで受け入れられているのだろう。クラスの違う美早でも分かるくらい、天澤はるかには周囲から孤立している雰囲気があるので。 「まあ、今はさ、つぐみが男を見せる時期だと思うよ」 美早の言葉に、言乃が顔を上げた。美早の見るところ、天澤はるかとつぐみの距離は、少しずつ短くなってきていると思う。一昨日よりも昨日の方が、昨日よりも今日の方が、少しずつだが笑顔の回数も増え、柔らかい空気が増しているように思う。たとえそれが、恋愛感情に起因するものではないにしても(二人とも、そのあたりがどうも分からない)、節目がちな彼女の顔に、少しずつ笑顔が増えていくこと自体は、素直に喜ばしいことのはずだ。(天澤はるかはまだ、他人に対して決定的な一線を引いているような気がするが──) 「今は様子を見ていろ、と?」 「あせる必要なないんじゃないかなってこと」 美早は片目をつむって答えた。そう、あせる必要はないはずだ。泉城での3年間はまだ始まったばかりなのだし──これからゆっくりと時間をかけて、関係を深めていけばいいのだと、美早は思う。 「…………」 言乃は黙ったまま、美早を見、そして視線を空へと向けた。つられるように美早も顔を上げる。上空は強い風が吹いているのだろう、細切れの雲が形を変えながら、緩やかに流れている。 考えこんだままの言乃を横目で見ながら、まったく、と美早は胸の中でもう一度息をついた。つぐみ、あんたはあんたで頑張ってると思うけど、もうちょっと自分の足元もちゃんと気にしなさいよ──
by kawa-75
| 2006-06-22 17:12
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